突然ですが、みなさんの中で「占い」とはどういう定義で存在していますか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、
「占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断、予言することや、その方法をいう。」
また、
「また日本では、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昔から言われているように、占いは他の業界と違い、必ずしも当たらなくても通用する面もあることから、占いを裏(外れ)が無いという意味で「裏無い」と軽蔑の意味を込めて書く場合もある。」
「占いの関係者の中には占いは「統計」によるものと説明する者もいるが、占いは独自の理論や個人の経験で構成されている面が強く、必ずしも統計や統計学、科学としての研究との関連があるとは言いがたい。」とも書かれていました。
私がやまと式かずたま術に出会い、鑑定士としての活動を始め、自己紹介する場面で自分が「占いの鑑定士」と名乗らず、「やまと式かずたま術の鑑定士で、人を観させていただいています」と言いたかったのは、多くの人の中の「占い」という概念がウィキペディアにあるような固定概念がベースとなっているからです。
確かに、占いの結果に明確な根拠は示せないし、方程式のように分かりやすく答えがあるものでもない。しかも、学校で習うようなものでもないので、多くの人々の共通認識になっているものでもない。
当たっていても当たっていなくても、所詮占いは占い。お楽しみ程度。
しかし、私が出会った「やまと式かずたま術」は違った。
2年ほど前の私は「このままの自分で良いのか、いや良くない。でも何をどうしたら良いのか全く分からない。でも、何かを変えなくてはいけないことだけは確かだ。」との思いで、もやもやした毎日を過ごしていました。
これ以上考えてもどうしようもないし、気分転換に占いでも行ってみようか。全然違う目線で自分を見つけてみるのもありだな。
以前にもほかの占いで観てもらった事がありました。しかし、観ていただいた内容を思い出そうとしても思い出せないくらい、その場限りの気休めの内容。来年の運気はとか、いつ頃結婚できそうだとか。だから観てもらった後も問題は解決しない日々。
「やまと式かずたま術」は実践術
私が悩みの最中、やまと式かずたま術の鑑定を受け、他の占いとは違うと思ったのはまさに占いの枠を超えた、人生を生きる上での実践術を教えてくれる鑑定だったからです。その上、その鑑定方法は特許も取得している。ロジックもあり、日本人が考えた鑑定法とは!!何それ!
受けた鑑定結果はまさに私が教えてほしかった「答え」でした。そして鑑定していただいた先生から伝えられた言葉の全てが腑に落ちてしまった。なぜ悩み続けていたのか、これからどうすれば良いのか。何を大切にし、何を受け入れ、何を許しながら生きていけばよいのか。
つまり、自分の「在り方」を発見した瞬間でした。
そして、このやまと式かずたま術は習える。え、習えるの?私でも?鑑定士も目指せるの?
しかし、習うにしても私にとっては安くはない授業料。数か月悩みましたが、鑑定していただいた自分の在り方を実践できる生き方であること、そして、「ありがとう」を直接いただける素敵な活動に魅力を感じてやまと式かずたま術の鑑定士になることを決意し、今日があります。
やまと式かずたま術は占いでいうところの、「人の心や運勢など直接観察することが出来ないもの」について、ロジカルに予測や判断できるツールだと考えています。そして、出た結果について「いいとこどり」すれば良いのです。どうすれば良くできるのか、どのような心構えが必要なのかを事前に知り準備する。やまと式かずたま術の概念では「この時期が良いとか悪い」、「相性が良い・悪い」という考え方は基本的にありません。
なぜなら、「自己探索」と「相互理解」がテーマだからです。白黒つけるのではなく、お互いを知り尊重し、ベストな関係を築くことが目的。
この人生における「ツール」、かなり使えますよ!